50年間の余生の過ごし方

ラーメンと日本酒と外食とゲームを見初める日々

【あらすじ】休職

※前回までの続き

【あらすじ】代理店時代 - 50年間の余生の過ごし方

 

社会人になって5年、私は最悪だった。

ただただダラダラするしクラクラめまい起こす

苦しみもどうしようもなく 5、4、3、2、1

 

 

心療内科に行ってみれば?」

客先での打合せが終わった後の帰り道、この上司からの言葉で少し視界がグラっと暗くなったような気がした

あぁ、終わった。自分がこうなるとは思っていなかった

 

 

考えてもみれば当然なのかもしれない

担当CPNのローンチが2月、3月、4月と固まっていて、

さらに3月に1人、4月に1人チームから抜けたことで自ずと1人あたりの業務量は膨大に膨れ上がっていて年が変わってからはひどい状況が続いていた

かといって、どれかの仕事の優先度を下げられるほど器用ではなく、仕事の量を少なくしてくださいと上司に相談する勇気もなかった

自分の担当業務が減ったとしても、その分誰かが割りを喰う

そう考えると、他の人に迷惑をかけたくがないために自分が今は踏ん張る時なんだと言い聞かせていた

 

 

そんな時、5月、GW中に緩んだ褌を締め直してアクセルをググっと踏み直した時、

体がぶっ壊れた。

これが噂の休職かと。とうとう自分にもお鉢が回ってきたのか、と。

最初に心療内科に行った時に「まぁ働きすぎによるストレス障害でしょう、休んだ方がいいですよ」と言われても、まさかまさか~と自分ごとと思えなかった

数日後にどうしても行かないといけない撮影あるし、ひとまず1週間分薬をいただければそれでいいです、と。

ただえでさえ人員少なくなってきて大変な時に、自分まで休み始めちゃチームが崩壊する!

というか、「ストレス障害の完治には一般的に3~4ヶ月かかるから、そのくらい休むべきですよ」とか先生言ってたけど、有り得ない!そんな長い間、他人に迷惑かけられない!

 

 

しかし、外せない撮影を終えてゆっくり考え直してみた

おそらく正しいのは、働きながらでも体調は治るだろうという自分の考えではなく、医者の言っていることなんだろう

社会人になってから5年間、ずっと前しか向いてこなかった

残業時間が長いことで有名なチームを2つ渡り歩いてきたし、きっと勤続疲労もあるのかもしれない

それに、原監督が「自分の身体は自分で守らなければならない」と言っていたことを思い出した

俺にしかできない仕事なんてない、たかだか5年目の社員の仕事なんて誰かがとって代わることができるはずだ

そもそも「自分が休んじゃ誰かに迷惑がかかる」と思って自分に負荷をかけることこそが社畜精神の象徴のようなものだし、今後そんな気持ちであっても社会で損していくだけなんだろう

そう思って診断書を貰いに行って、少しの間休むことにした。

 

 

最初は罪悪感との戦いだった。

本当に仕事を休んでいいのか、自分が働く分誰かが今まで以上に働かなくてはいけないんじゃないのか、自分に連絡しても返信がかえってこず困っている人がいるんじゃないのか

平日の昼間に家にいる違和感に全く慣れなくて、日中の時間の流れがものすごく遅く感じた

テレビを見る、ゲームをする、運動する、毎日野球観るくらいしかやることがない

酒もやめた、大好きならーめんも週1杯に限定した

何よりの薬が「仕事から離れること」「仕事のことを考えないこと」と言われていたので沖縄や仙台にも旅行をした

楽しかったかと言われれば楽しかったけど、ふと冷静になると自分の抱えている大きな問題に背を向けているだけの行為のような気がして仕方がなかった

 

 

仕事から離れて数週間、ようやく一日中メールも電話もしない、そんな非日常に慣れてきた

あー、休職ってこういうことなんだなー

社会と分断され、何ひとつ生産的なことをできていない状態

それが何よりつらい、つらすぎる

人間ってのは、健康的に週5日働いてこそ張り合いがあるんだろうと心底感じた

闇雲に必死に働いてると「休職」とか「長く休む」ということがめちゃくちゃ魅力的に思える側面もあるんだけど、それは決して違う

健康でいること、モチベーションを持ちながら働くこと、悩みを持つことなく休暇を過ごすこと

これが何より大事ということがはっきりと分かった

これらが揃って初めて人間らしい真っ当な生活が送れるんだ

 

 

休職期間が始まってからこの理想的なゴールが見えてくるまで約1ヶ月半

ここからが長かった

まず、全く眠れない

夜になると全く眠くならないどころか、心配事でより一層目が冴えてくる

自身のキャリアについての考え事、職を変えるべきかどうかについての考え事、今日も眠れないんじゃないかという不安

眠くなる気配がないので睡眠導入剤を飲んでベッドに入るもそこから寝付くまで1時間以上

「寝る」というのがこんなにつらかったとは・・・

ようやく寝れるのが早朝、そして一回寝ると起きるまで意外と長くて目覚めが悪い

体調が悪かったり頭が痛くて横になったとしても眠れない

ベッドやソファで悶え死ぬだけ。日差しが明るくてカーテンを閉め塞ぎこむ。

この毎日の繰り返しで「睡眠」には一番悩まされた

寝るのが大好きだったのに、「眠い」という感情がなくなった

おそらく副次的な症状なんだろうけど、詳細を調べるとますます不安になりそうだったから何も調べなかった

 

 

休職中、強く心の支えにしていたのが「ストレス障害であって決して鬱ではない」ということ

つまり、心は病んでいないということ

少々働きすぎて身体に支障をきたしたのであって、体調さえ元に戻ればすぐにでも働き始めたいという心意気

これだけは失くさないようにしていた

むしろ、身体に無理を言わせて働いていた時はスヤスヤ毎日眠れていたし、休職する事によって症状が増えているような気がしてならなかった

自分の中で「休職=悪」という図式が完全に完成

早く社会復帰しなければ!という強い気持ちで毎日過ごしていた

もう明日にでも働き始めて分断された社会に戻りたい!

 

 

ただ、、現職復帰は考えづらかった

一旦離れてしまった以上心象的に戻りづらいし、同じ環境だと同じ問題が再発してしまうんじゃないかという不安

新卒から5年そこらで転職してもなんら問題ない世の中だし、むしろ今後30年以上続く社会人生活をどの企業で過ごすかをこのタイミングでゆっくり考えられたのは大きい

そう思うと、いろいろな理由とタイミングが重なり、今の企業で骨をうずめるのはベストな選択肢ではないという結論が出た

 

 

そうして始めた転職活動

どういう企業を受けたかは別エントリーで書くつもりだけど、

とにかく「休職中」というのはデメリットに働く

通常なら現場の人間としか面接しない企業でも休職中ということがネックになって人事面接が挟まることも

そして休職した理由や休職中の状況などをかなり際どい部分まで攻め込んで聞いてくる

そう、面談のような対話形式ではなく尋問形式なのだ

当然、そういう面接が挟まった企業はダメ

そりゃそうだ、いくら文字面で問題なくても数百~数千万かけて人を採用するってのに休職中の人間を雇うのは思い切った決断すぎる

「現場は欲しいと思っているが人事判断でダメ」

この不採用理由は聞き飽きた

現場と人事、双方の目線でクリアしないといけないからやっぱりハードルは高い

かといって自分の努力で解決できる範疇じゃないから難しい

あまり企業数受けてないというのもあるけど、転職活動を始めてから決まるまで4ヶ月以上かかった

その間も現職には何も連絡できないのもつらい

 

 

「働いても問題ない」という主治医のGOサインと、転職先の正式内定を揃えて無事に退職願を提出できる

想像より遥かに長い道のりだった

 

 

とにかくこの半年で学んだのは、

健康的な生活を過ごすことが人生を快適に楽しむ何よりの秘訣

ということ

健康でなければ楽しいことも心の底から楽しめない

働いてその疲れた身体で酒を飲んで遊んでナンボのもんです

休職してみないと到底分からない価値観でした

 

次回、『【あらすじ】転職活動』にてブログ開設前の振り返り終了